私が「嫌われる勇気」を持てたワケ

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エリサ
エリサ

・ミニマリスト歴8年
・著書が4カ国で出版
・エンディングノート講師
・北海道で一人暮らし
・40代でおばあちゃんに

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私のこと
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昔の私は「みんな仲良く」「博愛精神」「友達100人できるかな」を地で行くような人間でした。
無意識に、みんなに好かれないといけないと思っていたんです。

そんな私の十年ほど前の出来事をお話しします。

自分を見失っていた

みんなに好かれようとした結果、自分を見失っていました。
みんなが求める私、みんなが心地よい私でいようとしたんです。

そして気がつきました。
「自分の好きなものがわからない」と。

何を食べたいのか、何をしたいのか、何色が好きなのかがわからない。
もう、愕然です。

求められる自分を演じているのか、自分の本当の気持ちなのか、見分けがつかなくなっていました。

悪口が耳に入り

ある時、一部の人達にとことん嫌われたんです。
自分を見失ってまで好かれようとしていたはずなのに。

最初はなんとか関係を修復しようと努力しました。
けれどうまくいきません。

振り返ってみると、結構前からチクチクと嫌がらせをされていたフシがありました。
でも当時「みんな根は良い人」と信じていて、キツイことを言われても「私のために言ってくれてるんだ」と思い込んでいたんです。

どうすりゃいいの!?

そんな折、私にとって衝撃の出来事が起こりました。

とある人に仕事の連絡でメールを送ったら「メールだと見逃すので口頭で伝えてください!」と言われました。
次は口頭でお伝えしたところ「口頭だと忘れるからメールで送ってくれないと困ります!」とプンプンされました。
だからメールで送って口頭で伝えたら「何度もしつこい」と言わんばかりの対応で。

どちらも同じ人ですし、最初の発言から1週間経ったか経たないかくらいの出来事です。

この経験が、「何をやっても文句を言われるときはある!」という気づきとなりました。

自分を取り戻す日々

自分は見失うし、悪口は言われるし、散々な状況に参っていました。
だからすがる思いで、自分を立て直すためのコーチングを受けたんです。

その中で今でも印象に残っているのが「自分の感情を認識する」という練習でした。

最初は「自分の感情がわからない」というところからのスタート。

「足をテーブルにぶつけた!あれ…私今ちょっとイライラしてる?」
「イチゴを食べると少し心が軽くなる。幸せな気持ちが増えるのかもしれない」
「芸能人の○○さんが好き。なぜなら…」
「今日のレジ待ちで嫌な思いをした。なぜなら…」

こんな風に、逐一自分の感情を言葉にしていきました。

そのうち「悪口言った○○さんのこと、私キライ!」という感情が出てきました。
人を嫌いたくない自分と、そうではいられなかった自分。

やっと対峙できた瞬間でした。

“好き”を追求する人の誕生

光があれば陰がある。陰があれば光がある。

“嫌い”という感情に気づいたことで、”好き”を認識する精度も高まっていきました。

その流れでミニマリストになり、好きな物だけ残していったのが今の暮らし。

コーチングで経験した「好き・嫌い」を認識していく練習が、モノの取捨選択に大いに生かされています。

好きな人に愛情を注ぐ

嫌な人にも、誠実な対応はします。
けれどわざわざ親切にはしません。
「私と関わりのない場所で幸せでいてください」という気持ちです。

貴重な時間と気持ちは、好きな人・大切な人たちに使いたい。
今はそう思って生きています。

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