私は小学校1年生から中学3年生の2学期まで、約9年間学校に通えませんでした。理由の一つは、ひどい緊張症だったことです。
手を挙げられなかった9年間
私は小学校1年生から中学3年生の2学期まで、約9年間学校に通えませんでした。毎年の登校日数は一桁で、通知表がオールイチだったこともあります。なぜ学校に行けなくなったのかは今もはっきりわかりませんが、ひどい緊張症だったことは確かです。答えがわかっても手を挙げれば間違えたらどうしようと思い、下を向いてじっとしているような子どもでした。
失敗への価値観がひっくり返った
そんな私が人前で話せるようになった最初のきっかけは、高校時代の経験でした。中学の出席日数が足りない中でなんとか入学させてもらったのは、いわゆる教育困難校と言われる学校です。不良や学習障害に近い子が珍しくない環境で、間違えても特別バカにされることはなく、何度でも挑戦させてもらえました。失敗はこの世の終わりではないと思えるようになったことで、授業中に当てられても平気になり、最後は生徒会長になって全校生徒の前でスピーチもできるようになりました。
プレゼン大会の先に待っていた「頭真っ白事件」
高校の経験のあと、大人になってからも発表の場は広がっていきました。私の場合、ビジネスプランのプレゼン大会や社長塾のプレゼン大会で入賞し、経済界のビジネスアワードで審査員特別賞をいただいたこともあります。ただその後、ラスベガスのパフォーマンス大会で慣れない英語を使ったせいで、ステージの上で一言も話せなくなる出来事がありました。何百回も練習したセリフが全て吹っ飛んだんです。時間にすれば一分もなかったと思うのですが、永遠に終わらない地獄のように感じました。
言葉に囚われてた
あとから振り返って気づいたのは、慣れない言語を使ったために、意識が言葉そのものに向いてしまっていたことでした。失敗しないことへのこだわりが、結果として大きな失敗を生んだのだと思います。普段使っている日本語を話すときは、言葉のことなんか考えていません。だからこそ伝えたいことに集中できるのだと気づきました。
あの失敗を思い出すと、今でも「…ヒィィィ!」と震えますが、そのおかげで「日本語なら大丈夫!」と思う気持ちも芽生えました。


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