二人の最期
項目 残したい記憶
理想の最期について考えてみる。
数年前、人の最期について深く考えるきっかけになったお別れが二つあった。
このことが私を無意識に終活やエンディングノートの世界へ連れてきてくれたのかもしれない。
◇◇◇
40代男性 1人暮らし サラリーマン
ある夏、学生時代の友人のお兄さんが急性疾患で亡くなった。
倒れてから一度も意識が戻らず逝ってしまうという最期。
当時お兄さんはまだ40代だった。
ご家族の悲しみやショックは想像を超えるものがあったと思う。
年齢だけではない。
心の準備が出来ない、最期のお別れが出来ないのは、もっともハードなお別れだと思う。
どんなに哀しくても辛くても、一人暮らしだったお兄さんの賃貸マンションは、誰かが片付けなくてはならない。
結局妹である私の友人が、仕事の合間を縫って、毎日のように片付ける日々が続いた。
友人は多くは語らなかったけど、
「兄も妹にこんな一部始終を見られて、片付けさせたくはなかったと思う」 と 静かに言った。
その言葉に全ての苦悩が集約されていると思ったし、彼女に残る思い出も想像が出来た。
◇◇◇
90代女性 1人暮らし 数年間の闘病
認知症を患うことなく90歳を迎え、ご病気で亡くなった、友人のお祖母様。
お一人暮らしになったタイミングで住まいを小さくされ、モノも必要最低限にまでミニマルにされていた。
自身で戒名や遺影写真のご準備までされていたという。
友人の言葉を借りるなら
「去り際が圧巻だった」と。
この話を聞いた時、初めて人生の最期にも理想という形があるのかもしれないと思った。
立つ鳥跡を濁さず というが、自分の最期には少し拘りたいと思うようになった。
世界的なベストセラーとなったスティーブン・R・コヴィーさんの「7つの習慣」。
この中の第二の習慣「終わりを思い描くことから始める」では、自分のお葬式で参列者にどのような記憶で自分を憶えていてほしいか?考えてみようという一説があったと記憶する。
どのように生きるかはもちろん大切だが、最期の印象も大切だと私は思った。
◇◇◇
エンディングノートや終活について考える時、私はこの2人の友人のご家族の去り際を思い出す。
友人兄のように若い時は、死は身近ではないことが多い。
なので、何の準備も出来ずにあちらの世界へ逝ってしまうことが多い。
しかし、若いからこそたくさん交友関係があったり、仕事や生活の上で責任のある立場だったりする。
備えておかないと周りが困ってしまうような情報をたくさん持っていると思う。
死を考えながら生きるのは切ないかもしれない。
けれど生きるということは、そういうことでもあると思う。
80歳を超えてきたら、同世代のみなさんが旅立たれることも日常的にあるし、そろそろかな、という心の準備もするようになるだろう。
死についてだけ考えるなら、70代から頭も体もしっかり確かな状態での終活は、理想なのかもしれない。
しかし、いつ来るか分からない自分の最期や、自分に与えられている残りの時間について考えるなら、それは「今」から終活なのだと思った。
ほんとですね、若いからこそ仕事や交友関係が多いことがある。
今回のお話で、準備をしておくことは何歳でも大切だと再確認できました。
「死を考えながら生きるのは切ないかもしれない。
けれど生きるということは、そういうことでもあると思う。」
この言葉、胸に響いてます。
エリサさん、コメントありがとうございます🙏
嬉しい♡
お盆の帰省で、終活時期の大切さをまたヒシヒシと感じてしまいました。
目の前に認知症の家族がいて、自分の心もザワザワしている中、本来の自分ではないだろう姿のままで終活やエンディングノートに向かう大変さを見ていて、心がしんどくなりました。
勉強も自己投資も終活も、早ければ早いほどコスパがいい、ということをエリサさんの発信からもいつも感じます。
早めに始めてあとは微調整、ですね!
Me活4期生のみきです。
先日はありがとうございました。
今義理母の片付けをしている中、本当にいろいろと感じる事があります。
年齢とともに物は少なく、情報も少なく
手をかけられる範囲が狭くなるのは、実感しています。
なので、モノは少なくお手入れは楽に
ご機嫌な自分で生きていきたい、そう強く思うようになりました。
美紀さん、コメントありがとうございます。
モノがありふれる世の中で育った私たちは、やはり自分が亡き後のことへの想像力を持つ事が大事だな、と感じずにはいられませんね。
モノを減らすことは簡単なことではありませんが、そこに向き合う力のある美紀さんは、とてもお強いと感じます。
Me活ワークの中で、ご機嫌に過ごすために必要な情報共有をしながら、楽しく前向きに一緒に頑張っていけたらな、と思っています。