沼ってこういうこと?
項目 好きについて
エッセイ⑥<好きについて語りたい>
「好き」の先には、沼がある。
着物を自分で着れるようになりたいな、と私は息子達の式典の度に思っていた。
数年前、友人の紹介で良き先生とのご縁があり、着付けを習い始めた。
着物が着れるようになったら、次はお茶を習いたくなった。
お茶のお稽古に行くと、毎回違う掛け軸を拝ませてもらう。
掛け軸を見ていると当然「書」にも興味が湧いてくる。
書といえば私の中では武田双雲さんだった。著書も拝読したことがあり、会いたかった人の1人。
展覧会にお邪魔したら、お話が出来た。
優しくて大きな人だった。
「日々是好日」という文字の真ん中に金色の花丸がある作品は、ひときわ光を放っていて素敵だった。
掛け軸の下には必ず季節のお花も活けられる。
華道は流派によって全く魅せ方が違うが、祖母が池坊の師範だったこともあり、池坊のあの「すっ」としたシンプルさに、私は懐かしさを感じる。
もちろん茶器にも、触れれば触れるほど興味全開。
私は和食器はあまり好きではないのだが、茶器はべつもの。
この道の沼は、一度の人生では到底味わいつくせない。
みなさんの好きの沼は深い?それとも広い?
好きについて思いめぐらせている時のキラキラ感が、その人の魅力だと思う。
共通の好きで繋がる時間は、また格別。