「やりたくないこと」を「 やらないこと」にするには?
項目 やらないことリスト
<やらないことリストの落とし穴>
hibiyaのエンディングノートシール&ガイドブックの第二弾には、やらないことリストが追加されました。
「やらないことリスト」を作ろうとした時、これは「やりたいことリスト」を実行するより難しいのでは?と感じました。
なぜならそこには根強い「〇〇すべき」がたくさん隠れているから。
ん?やりたいことリストの時にも この〇〇すべき、出てきましたね。
まじめな人の前に立ちはだかる 〇〇すべきの「べき思考」。
若い頃の私もこの「べき思考」道のど真ん中を胸を張って歩いていたように思います。
難関課題、やらないことリスト、まず3つに分類してみようと思います。
1.やらないほうがいいのにやってしまう「自分」の悪習慣や悪循環
2.やりたくないのにやらされている?「相手」ありきの行動や慣習
3.どちらでもないのに、なんだか常識という縛りで続けていること
これらを気持ちよく手放して、「やらないこと」にする為に、やめる準備をする、実行にうつす為の方法を考えなくてはいけません。
明日から「やーめた!」と簡単にいくと良いのですが、人間は習慣をなかなか手放せない脳の仕組みがあるので、意外と難しい。
やめなくては、と思っているのに、やめられないことがあるのは、やりたくないのにやっていることへの、潜在的な報酬?許し?なのでは、と私は感じています。
このやりたくないのにやっていることを上手く取り除いておかないと、やらないことリストを叶える時の落とし穴になります。
そして、やりたくないのにやらなくてはいけない、と思っているのは、
何に?誰に?縛られているのかをしっかり言語化するのも良い方法だと思いました。
アルベルト・アインシュタインは言いました。
「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションだ」と。
自分の常識から外してしまいたい常識なら、この言葉を使って、思い切って手放してみようと思います。
また、やりたくないことがやめられないなら、<これならやってもいいかな>と思えることに置き換えられないかと、工夫してみるのも良いかもしれません。
工夫することも楽しんでいけるといいですね。
やりたくないのにやっているということを減らしていけば、悪習慣は手放していけるかもしれません。
やらないことリストは、難易度高めの項目ですが、隠れ我慢を取り除くことが出来た時、心の重りは少しずつでも降ろして生きていけると感じています。