自分史を書くことへの戸惑い


項目 履歴とゆかり

<あなたの中にあるパンドラの箱、開けられますか?>


前回のブログは、私の幼い頃のターニングポイントにフォーカスし、自分史の1ページを書いてみました。

これは、私の参加するhibiyaで作っている エンディングノート用ガイドブックの「履歴とゆかり」のページにあたります。

このページでは、人生の分岐点や嬉しかったこと・つらかったことTOP3など、振り返ることをお勧めしています。

しかし、自分で作っておいて何なんですが、私はこのページがあまり好きではありません。

そもそも振り返ることに大きな意味を感じられず、

過去の二つの顔に正面から向き合うことにも、ぞわっとするのです。


一、温かみを持って思い出せる、今に上手く繋がっている過去。

二、その当時に置き去りにしてきた、つめたく冷えきってしまった過去。


特に、この置き去りにしてきた方を引き釣り出してくることに意味はあるのか?と思っていました。


原始仏教の講座に通っていた時も、講師の草薙先生は、「自分史を書くとよい」と、何度も仰いました。

しかし私は結局、自分史は書いてきませんでした。

明確に「書きたくない」という意思があったのです。


チャットGPTさんに、自分史を書く効用や意味は?と質問してみました。

こたえは次の4つ。

・自己理解の促進

・遺産の残存

ストレス解消と癒し

成長と学びの機会

「過去の出来事や感情に向き合い、それらを文章化することで、自分自身との和解前向きな未来への希望を見出すことができます」とありました。


確かに前回私は、無理やり連れて行かれた長期旅のお話をブログで書いたことで、当時意味不明だった両親の行動を、今だから慮ることが出来ました。

そして、これまでとは違う気持ちでこのことを振り返るきっかけとなりました。

ブログを読んだ妹からは

「衝撃!知らなかった!自分たちのことじゃないみたいで新鮮」とも。

これは過去の自分の感情との和解だったり、家族との思い出の共有の機会になるような気がしてきました。

私にとって自分の過去を振り返ることは、封印している私を幸せにはしないパンドラの箱を、わざわざ開けに行く行為。

あの時は楽しかったよね~、あんな頃に戻りたいわ~

今までそう話す人達を、厭わしく思う事もありました。


表面上は比較的明るいところを、ゆるりと歩いてきたつもりでも、後ろはほの暗く、私には帰りたい過去など無かったのです。


これまで自分史なんて言われると、年表のようなものを思い浮かべがちでした。

けれど今は、もっと小さく分解してみてはどうかな?と 思い始めています。


たとえ思い出したいほどのターニングポイントではなかったとしても、箱の中にあるターニングポイントに焦点をあて、言語化していく。

それは一つずつ箱の中身を昇華※させる事にもつながり、結果、人生の幸せ総量を増やしてくれるような気もしています。


今と同じくらい、そのターニングポイントも大切に思えるようになることが、次なる私の課題だと感じています。

 

※昇華とは

精神分析学においては、心に沸き起こる不満や怨念、劣情などを、他のより高尚な対象への情熱に置き換えること

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