子供の心配、親知らずってこういうこと?


項目 残したい記憶

エッセイ⑬<84歳の伝え方>


「我が父が少し変わっている」というお話を以前にしたが、その父上から今年衝撃の寒中見舞いが送られてきたので、本人承諾の上で、今日はそのお話をしようと思う。

私の父は今月84歳になる。
有難いことに、現在も元気で一人暮らしを満喫してくれている。


父は、10年ほど前に年賀状じまいをした。

そしてその後は、年始に寒中見舞いを書くようになった。

それは親しい友人や、私たち家族にも毎年届く。

A4の紙4枚、昨年自身に起こった出来事や、時事ネタ、独自の思想、たまに芸能ネタなども綴られている。年賀状よりはるかに力作だ。

彼なりのレイアウトで編集された書面は、週刊誌の年末特大号のようだな、と私は思っている。

なかにはこれを、毎年父から届く、遺言書だと受け取る人もいるらしい。

 


そんな中、今年も年始に年中行事がやってきた。

いつもの伸びやかな父の字で書かれた私の宛名、どれどれ、と封を開いた。

 




暖かいお正月でした。

今年、私は84歳になるはずですが、年をとると、思いがけないことが起こります。起こします。


昨年の11月、大阪の地下鉄難波駅で、線路に転げ落ちました。

子供のころから、ホームの端には立たない習慣でしたが、電車を出た後で、少しゆっくりした気分だったので、線路の向かいの壁の表示を、読んでおりました。

『線路に落ちたときは、ホームの下に入ってください』

「どれどれ、どのくらいのスペースがあるのかな」と覗き込んだところ、前のめりになったのです。

「あっ、やってしまった!」と思いながら落ちていきました。

左手に少し傷が出来ているけど他は何ともない、と思いながらホームに上がろうとしましたが、年です、ダメでした。

ホームにいた人が二人で引き上げてくださいました。

ベルを鳴らす人が有り、駅員さんも駆けつけて些か大騒ぎでした。

いつ何をやらかすか判らない年齢になりました。

以後気を付けます。


・・・・・

そしてその寒中見舞いは、何事もなかったかのように、そのあとも時事ネタや、昨年父が作ったホームページの宣伝、広末涼子氏の話題へと続く。。。


 


 昨年末、私は父と会って食事をした。

その1ヶ月前にこんなことになっていただなんて、ピンピンした姿からは、知る由もなかった。

これを読んだ瞬間、「お父さん、ここでネタにするつもりで黙ってたな」と思った。

その後すぐ親娘LINEで、

「あまりの衝撃に椅子から転げおちそうになったよ」と私が告げると

「83歳は初めてだからな~」と返してきた。

83歳はこんなものという概念が、多分父にはない。

だから、自分の83歳は自分で経験しないと、何が危なくて何が出来ないのかが分からないのだ。

自分は83歳を初めて体験しているという父の言葉が、あまりに父らしかった。


色白でやせ型で、昔も今もベースを弾かないベーシストみたいで

決して強そうには見えない父だが、今回も強い父で助かった。


また一つ武勇伝をつくった、くらいにしか思っていないだろう。

だが私は近頃、さすがに心配だ。

妹は「落ちた理由が好奇心って、子供か!!」と突っ込んでいて、しばし笑えた。

この話が笑える話で、ホントに良かった。

助けてくださった方々、感謝しかございません。
ありがとうございました。




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