モノに宿っていた祖母の想い
項目 モノの管理
エッセイ⑮ < 私の大切なもの1号はコレ!>
長い間、私はエンディングノートの「大切なモノ」の欄が埋められずにいた。
大切なモノがないわけではない。
泥棒さんに取られたらイヤなものもあるし、火事で焼けてしまったらと思うと胸が痛くなるものも、もちろんある。
でも、形あるものに執着があるかと言われれば、やはり薄め。
モノが持っている思い出や、そこに込められた愛のようなものを大切にしているだけでOK、という感じだ。
仲の良い人に「いいな~私も欲しいな~」と言われれば、「どうぞ」と幾度となく差し出してきた。最近一人暮らしを始めた息子にも、「これ、いる?」と、私はどんどん渡してしまうので、「めっちゃくれるやん」と言われたりしている。
そんな私も色々思い返してみると、思い出とともに手放さないモノがあった。
お嫁入道具の一つだった 喪服。
今日はそれについて振り返ろうと思う。
近頃私は、セレモニーには和服を着ている。
セレモニーを着物で出席しようと思ったのも、この喪服がきっかけだった。
現在唯一残っているお嫁入道具、それが祖母が作ってくれた喪服セット。
結婚前、祖母と二人で呉服屋さんにこの喪服を作りに行った日、喪服が和服になることで粋な大人になったような気がして、高揚感を感じた。
自分で着付けが出来なかった時代も、葬儀場の着付けの方にお願いして、祖母を始めとした親族のお別れには必ずこの喪服を着てきた。
祖母は生前、生け花の先生をしていた。
子供ながら祖母の活けたお花のセンスの良さに、
「おばあちゃん、天才やん✨」とよく思っていた。
お稽古の時はいつも着物を着ていて、背筋の伸びた美しい祖母は私の自慢だった。
何かと相性が良かった私達は、お洋服を買いに行っても同じ服を「いいね」と言い、祖母が漬けるすっぱいキュウリやナスのお漬物は、二人の大好物だった。
小さい頃は、プロレスごっこをしたりして、お互いくだらないことで、ケタケタ笑って、相手の笑い声がまた呼び水になって、更にお腹を抱えてよく笑った。
戸籍上は母だった祖母。
私が本当に娘だったら、、、
きっと祖母も私ももっと幸せだっただろうな、と昔はよく思った。
祖母のことが好きだったなぁ、と思う。
そして、祖母が喪服という形で残してくれた、和の世界への橋を、今私はゆっくり渡り始めている気がしている。
これからもこの大切な喪服は、私の哀しみのセレモニーを優しく支えてくれると思う。
大切なお着物がおばあちゃまとの想い出を繋ぎ、これからの悲しみも支えてくれる。そして和服の世界へも連れて行ってくれるなんて、やっぱり大切に思い残した物は自分のご機嫌を取ってくれる物なのですね。母がお嫁入り前に仕立ててくれた訪問着、私も着られるようになりたいな。
りーしゅさん コメント嬉しく拝見しました。
ありがとうございます。
一つ一つモノと丁寧に向き合うことで、出てきた感情でした。
りーしゅさんのお母さまとの思い出がつまった訪問着、是非幸せな時間のお供に(*˘︶˘*).。.:*♡