抱え込まない生き方


項目 やらないことリスト

<やらない事リストはご機嫌リスト>



適当という言葉がありますが、日本語はこの言葉からもわかるように、難しいですよね。

今「適当」と聞いて、「ちょうどよい」と思った人?「いい加減(悪い方の)」と思った人?どちらが多いでしょう。


私は元来、誰かがすでに上手にやっておられることは、それを享受するだけで満足するタイプでした。

誰かが出来る事は、私がわざわざしなくてもね、と思っているところがあります。

我が家は夫は外で働く人、私は家の仕事をする人、というはっきりした役割分担が始めからありました。それは若い頃の二人にとって、都合が良かったのです。


でもだからこそ「これは私の仕事」と割り当てられたことは、適当にすることも、自分から誰かの助けを求めることも甘えだと、厳しめに自分を律していた?部分がありました。

(子供たちが幼かった頃は引っ越しも多かったので、やっとその土地に慣れた、と思ったらまた一から仕切り直しということも度々。)

そしてこれらのことは日常なので、365日休みがありません。ここまですれば合格点というのもありません。

上司も部下もいませんから、ひとりブラック企業のようなものです。

(そんな時に支えてくれた友人がいたから、今の私がいます。有難い。)


今思えば、律していたのではなく、意地を張っていたとしか思えないくらいです。

意地っ張りの例でいうと、

産後、まとめて寝てくれることのなかった息子のお世話で、ナチュラルハイ状態だった私。

2時間の睡眠を取ることが出来なかった時期も、布おむつで育てると張り切り、真冬の夜中、ゴソゴソとおむつ、手洗いしていました。

(優秀な紙おむつが主流になっていたのにね、どこかの誰かが布おむつの方が賢く育つとか言ってたなぁ。。。)

自分がインフルエンザで倒れていた日も、次男のお産で陣痛がはじまった朝、そう21年前の今日も、早朝そーっと起きて、顔をしかめながらお弁当を作ったりもしていました。

一事が万事、こんな感じ(笑)

もはや本末転倒では?と突っ込みたくなりますよね。


なに選手権にエントリーしていたんだろう、と今なら思います。

自分の目指す完璧など、別の角度から見ると穴だらけで、別段魅力もないのに、なぜかそこに囚われていました。

自分でつくった取り決めに縛られている、過去の私のような方をたまにお見かけします。

私もいまだに気が付くと、その癖が発動するので、「それ、誰トク?」と自分に突っ込むようにしています。



やらないことリストは、未来永劫ずっとやらないことであり続けなくても良くて、ひとまずここ一年は手放してみようかな?

そんな適当でちょうどいい、期間限定やらないことリストを作ってみるのも良いかもしれません。


人生のステージが変わった時は、意識的にリスト作成をして、変化も楽しみたい。


子育て中の方は特に、子供が健やかなのが一番!(ここ崩れると、何をやってても心が晴れないですものね)

少し甘めにやらないことリストを決めて、笑顔多めのママやパパでいたい。


やらないことリストは「ご機嫌リスト」

隠れ我慢を上手に手放して、ご機嫌でいられますように。



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