書けないペン、毛玉だらけになった服、欠けたコップ。捨てればいいのに、それらを何年も持ち続けていた時がありました。
私が持っていた傷んだモノ
かすれるけれど読めないくらいの線は引ける書きづらいペンや、インクの出が5割くらいのペンが、私の部屋にはゴロゴロ転がっていました。書けないわけではないから、手放すのは気が引けたんですよね。
毛玉のついた服も何枚か持っていました。すぐに手放さなかったのは、そのうち毛玉を取ってきれいにしようと思っていたからです。色も形も気に入っていて、毛玉さえなければまた着たい服ばかりでした。
欠けたりひびの入った食器も持っていました。欠けたコップは、使っていたら口が切れそうで少し危ないのに、当時はなぜかほとんど気にしていませんでした。まだ状態のいい食器を持っていたのに、傷んだモノを使い続けていたんです。
心の癖が現れていた
振り返ってみると、傷んだモノや壊れたモノを持ち続けていた理由には、こんな心理が働いていたと思います。
書けないペンは「書ける時もある」という運任せの状態でした。毛玉のついた服は「そのうち綺麗にしよう」という先延ばし。欠けたコップは「新しいモノを私が使うのはもったいない」という自己評価の低さ。私の場合、運任せ、先延ばし、自己評価の低さ、この3つが無意識レベルの考え方の癖でした。
手放すことで癖が変わった
考え方の癖を変えるのはとても難しいことです。無意識のうちに何百回、何千回と繰り返して身についた癖だから、根が深いんですよね。だから私は、持ち物との付き合い方を変えることで、考え方の癖を修正していきました。
書けなくなったペン
書けなくなる原因を調べて、いくつかのペンは復活させて使い切りました。それでも自力で直せないと思ったペン先が潰れたものは手放し。
この体験によって、運に任せず自分の環境は自分で作るということを、学んだように思います。
毛玉のついた服
毛玉のついた服は「今すぐ毛玉を取るか、面倒だと思うか」で振り分けるルールを作りました。持ち続けたい気持ちより面倒な気持ちが勝つなら手放す。このルールを作ってから、毛玉だけでなく、ほつれやボタンの取れかけた服を放置することも減りました。
本当に大切にしたい服なら、面倒くさがりな私でも、毛玉取りをしたり、ボタンを付け直したりするんです。それができないなら、手放しです。
欠けたコップ
欠けたコップは潔く手放しました。ひびの入ったお皿やスープカップも同じように手放していったら、しまい込んでいた状態のいい食器を、ようやく普段から使うようになりました。それまでは「もったいないから特別な時だけ」と、自分を後回しにしていました。
考え方の癖まで変えてくれた
傷んだモノとどう付き合うかを変えたら、考え方の癖まで変わっていきました。これは私がミニマリストになって体験した、とても興味深いできごとです。
深層心理が、モノの選び方や扱い方や使い方にも表れるのでしょうね。


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